等身大の自分を知る
私の思う等身大とは、〈自分が感じたままでいられる状態〉です。
子どもの頃は、楽しいとかやりたくないとか、自分が感じたことをそのまま表現できていたはずなのに、
いつからかそれができなくなった。
歳を重ねるにつれ、社会的に求められる姿や、世間的によしとされる状態でいることが上手になった。
それが大人になるってことなのかな、と言い聞かせてきたけれど、なんか違くない…?
そんなの楽しくない!って、私は思います。
もちろん必要な場面はあるから、全部が違うのではなく、ずっと大人でいる必要はないよねって話。
この社会で生きている限り、大人にならないといけない瞬間は必ずある。
だからそれ以外の時間は、“大人”のユニフォームを脱いで、“子ども”に戻れたらいいなって。
私の思う等身大とは、
〈自分が感じたままでいられる状態〉です。
子どもの頃は、楽しいとかやりたくないとか、
自分が感じたことを
そのまま表現できていたはずなのに、
いつからかそれができなくなった。
歳を重ねるにつれ、社会的に求められる姿や、
世間的によしとされる状態でいることが上手になった。
それが大人になるってことなのかな、
と言い聞かせてきたけれど、
なんか違くない…?そんなの楽しくない!
って、私は思います。
もちろん必要な場面はあるから、
全部が違うのではなく、
ずっと大人でいる必要はないよねって話。
この社会で生きている限り、
大人にならないといけない瞬間は必ずある。
だからそれ以外の時間は、
“大人”のユニフォームを脱いで、
“子ども”に戻れたらいいなって。
子どもに戻るって?
私が言っている「子どもに戻る」とは〈等身大の自分でいること〉
つまり〈自分が感じるまま、それを表現していること〉を意味します。
状況に合わせて感情の出し方をコントロールしたりせず、笑いたければ笑う!泣きたければ泣く!
(いやいやコントロールすることに慣れちゃって、むしろそのまま表現する方が難しいよって言われそう…)
大丈夫、私といればできる!笑
なぜなら、最近の私はすっかり子どもだから。
具体的な戻り方はふたつ、
①私と対話をする
②私に写真を撮られる
です!!
私が言っている「子どもに戻る」とは
〈等身大の自分でいること〉
つまり
〈自分が感じるまま、それを表現していること〉
を意味します。
状況に合わせて感情の出し方を
コントロールしたりせず、
笑いたければ笑う!泣きたければ泣く!
(いやいやコントロールすることに慣れちゃって、
むしろそのまま表現する方が
難しいよって言われそう…)
大丈夫、私といればできる!笑
なぜなら、最近の私はすっかり子どもだから。
具体的な戻り方はふたつ、
①私と対話をする
②私に写真を撮られる
です!!
↓もっと詳しく
私と対話をする
私の思う対話とは、感じること・考えていることを見せ合い、違いを楽しむこと。
「自分はこう感じた、あなたはどう?」
「自分はこう考えてる、あなたの考えも聞かせて!」
対話をするときの大前提は、『感じるままを話す』ことです。
私は、正解や常識を一旦脇に置いて話を聞きます。
「こんなこと言ったらなんて思われるかな」
「こんな風に考えるなんて間違ってるよな」 なんて気にしないでほしい。
私が聞きたいのは、きれいな言葉なんかじゃなく『あなたの言葉』です。
「あなたがどう感じたのか」
「あなたはどういう考え方をするのか」
ただそれを知りたいだけなので、それが一般的にどうなのか、とか私にはどうでもいいです。
あ、知ってどうするのって思いました?
「私とはここが違うね!」
「ここは似てるけどちょっと違う?」
って、違いを見つけるのが楽しいんです。
ひとりじゃ違いとかないから。自分と、もうひとりいないとできないから。
もっと言うと、
「ここが違うのはなんでだろう?」
「ここは同じだけど、どうしてこういう考え方をするようになったの?」
「この考え方に至る過程は全然違うね!」
って話をしたい。
なんでしたいかって?
それはやっぱり、楽しいから!
これって、人間にしかできないと思うんです。
人間として生まれたからには、人間にしかできないことを満喫したいなって。
もうひとつ真面目に答えると、こうして人を通して違いを知っていく以外、自分を本当の意味で理解することはできないと思うから。
いくらひとりで自己分析をしてみても、自分の目線でしか自分を見れないのでは限界がある。比較対象がいて、他者との違いによって初めて見えてくる自分の輪郭があるなって。
自分が感じること・考えていることをそのまま外に出して、それに反応が返ってくる。
この時間は、間違いなく子どもに戻れる時間です。
私に写真を撮られる
写真を撮るのって、どんなときですか?
結婚式や七五三などの特別な日には、プロに頼んで写真を撮ってもらうイメージが湧きやすいと思います。
友人と出かけたときなどは、一緒にいる人が撮ってくれるかもしれません。
私が撮るのは特別じゃない日、あえて言うなら“なんでもない日”です。
なぜなら、なんでもない日の連続によって、特別な日が存在するからです。
私は、写真を撮られるのがとても苦手です。
七五三のときなんか、「笑って!」と言われるほど笑えず、苦痛でした…
当時の感情は覚えていませんが、おそらく日常との違いに緊張していたんだと思います。
非日常の中で撮る写真は、もちろん特別な記録になります。
ですが私は、日常の自分こそ残したい。
友人や家族と楽しく笑い合っている自分。
美味しいものを食べて、「美味しい!!!」が顔に出ている自分。
足をぶつけて、顔を歪めている自分。
好きなものの話をして、目がキラキラしている自分。
そんな、感じたことがそのまま外に出ちゃっている状態が、等身大だと思うんです。
そんなあなたの等身大の姿を、私は撮りたいです。
私にとっては、その姿が一番魅力的だと思うから。
子どもみたいな私といることで、きっとあなたも少しずつ、子どもに戻れると思います。
嬉しい、楽しい、お腹が空いた、眠い、おいしい、もっと遊びたい、、、
これらを、子どものときのように、感じるままに振る舞える。
つくらない、子どもの頃のような無邪気な表情。
社会に求められる姿なんて一旦忘れて、感じるままに過ごしてほしい。
“どう思われるか”じゃなく、“どう感じるか”だけ、大切にしてほしい。
そんな想いで、私はあなたの写真を撮ります。